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2015年10月


10月19日

自分の知っている限りで母の人生を振り返ってみる。

高校卒業後に化粧品店で働き始め、父と出会い、結婚。

成人式、結婚式の時にはお腹に兄がいたそうだ。

2年後には自分が生まれ、育児に追われる日々。


自分が実家を出て、数年後には兄も出て

老後の生活がそろそろ見えて来た時に、急逝。




確かに母は若かった。学校の参観日でも母は一人浮いてたように思う。

そんな若く綺麗な母が自慢だったのかもしれない。



52歳。特に病気を患っていたわけでもない。

早すぎる。






母の人生は楽しいものだったのだろうか?豊かなものだったのだろうか?

少なくとも遊び呆けている時間は自分より圧倒的に短い。

家族の生活で幸せを感じられる時間はどれだけあったのだろうか?

自分なんかが心配するのが失礼なだけの人生であったことを願いたい。










これより日記を振り返ります。



>はいはーいと適当に電話を切ろうとしたところで、母に代わるという。

最後の会話でした。顔を見ての会話でなかったことが悔やまれます。
最後に会ったのは正月に実家に帰ったときですね。
当然その時はこうなるとは夢にも思わず。人生、本当に何が起きるか分かりません。

この電話も本当に気まぐれで、父との電話で母に代わるということもそんなにありません。
神なのか、ご先祖様なのか分かりませんが、自分にしてあげられるだけの最後の贈り物のようにも思います。





訃報後、最寄駅に到着。

>実家の最寄駅に到着すると、叔母が車で迎えに来ていた。

改札を出ると祖母と従妹がすぐ近くで待っていてくれたのですが
この従妹に会うのが約10年振り。もっとかもしれない。

祖母の隣に知らない女がいるということに内心凄くビビってましたねw
だって最後に見た記憶があるの従妹が小学生の頃よ?

祖母「あ、りゅうか?

自「う、うん…(それよりその隣の女だれだよ…)

連れられて叔母の車に乗りますが、会話の流れで従妹だということを知るという。

それから自宅に向かう際にも、駅の近くにセブンイレブンが出来てることに驚いたり
色々と衝撃が飛び交っていました。









>会社帰りでスーツのまま来ていたので、着替えを取りに兄の車で自分の家に送って貰う。

着替えた後に実家に向かいますが、その前に兄の家に寄り、兄が彼女を連れてきました。
存在は以前より聞いていましたが、初対面です。

まぁまぁ可愛いやんけ…。


嫉妬。













翌日病院に向かい、医師より説明を聞きます。

>程なくして葬儀屋の人と面会する。

この流れがいつ出来ていたのかが本当に分からない。
同乗していた叔母が懇意にしている葬儀屋で、この日から三十五日法要までお世話になりましたが
いつどこでどう連絡を取っていたのか。
この叔母には頭が上がりません。

もし叔母が居なかったらどのタイミングでどこに連絡するんだろう?
いつか色々聞いておかないといけないかもしれません。









葬儀屋で打ち合わせ後。

>最後に葬儀屋の人に「お父さん、支えてあげてね!」と声をかけられた。
>でもその言い方はなんか子供に言う感じのような…(親戚一同から「変わらねー!」「未成年!」と言われまくって少し気にしている


本当に久しぶりに色々な親戚に会いましたが、未成年って言われまくりでしたね。
チビというのが大きな要因かもしれませんが、それでももうアラサーですよ。二十代最後の歳ですよ。

葬儀には兄が所属している消防団の人も参列していましたが
僕のことを遠目に見て弟は未成年なの?と聞かれたとか。

10歳下のいとこ連中にも同い年ぐらいって言われるし。

ジョジョの作者みたいな路線を狙ってみようかしら。










翌日、実家の掃除を始めます。

>父はこれから祖母の家で暮らすことになったので、引き払う準備である。

初日は母の姉妹と祖母が手伝ってくれましたが、
ここで祖母がずっと喋って、80オーバーとは思えない発言を連発します。

タンスの奥底から腹に巻くサラシが出てきたんですが、それを見て

祖母「これがあればあたしもまた妊娠できるな!

みたいなこと言うんですよね。いい加減にしろと。




後で兄から聞いた話ですが、衣類の整理中に男物のパンツが出てきたそうで。
どういう訳か縮んでいて父が履けるようなサイズに見えないので冗談交じりに
婆ちゃんこれ履くか?と聞いたら

祖母「あたしにチ○コはねぇよ!あるのはマ○コだよ!

80オーバーの老人が放送禁止用語連発するんじゃないよ…。



終始笑いに包まれた片づけでしたね。






当然自分たちのいた部屋の掃除もあります。

大体は現在の自宅に持ってきていますが、何点か置いてきたものも。

ファミコン、スーファミのソフトとかね…。


取りあえずニューファミコン本体が出てきたので持って帰ってきました。

ソフトは勿体ないけどほとんど廃棄。売りに行く暇も元気も無し。

プレミアがついているスーファミのファイナルファイトタフは持って帰りました。
裸のソフト単品だから大した値段にはならないだろうけど…。









通夜当日、斎場に着きます。

>遺影には難儀させられた。

日記にも書きましたが、葬儀屋次第になると思いますが
現代技術(恐らくフォトショパワー)で何とかなることもあります。

それでも、縁起でもないと思われるかもしれませんが遺影の代わりになるものが
あった方がいいなと思います。

写真を撮る機会って減ってくると思いますが(特に男は)
年に一度と言わずとも、数年に一度は何かにかこつけて撮ったほうがいいですね。









母と二人きりになった時の回想。

>この先二度と無いであろう、父母双方の親戚が一堂に会していたその席で
>兄は彼女を紹介して回っていた。皆笑顔でそれを迎え、最早結婚秒読みにも見える光景だったが
>自分には何も無かった。


本当に自分がしょうもねぇなと思ったのと同時に、兄に彼女がいて救われたなと思いましたね(苦笑
兄にもいなかったらこの兄弟何やねんって思われてたでしょうなぁ。

この日記を終わらせる方向に動くべきなんですかねぇ。

どう動いたらいいのかもさっぱりわかんねぇよ母ちゃん…。









葬儀後、自宅に戻り孤独感に包まれますが
従妹のラインに救われます。

>親戚の皆は10年近く会っていなかった自分たちに、そんな長い空白を全く感じさせない程
>親しく接してくれた。その優しさがとてもありがたかった。
>そんな感謝の意を返信すると、従妹から「大切な家族だからだよ」と返ってきた。


本当にありがたいですよね。
母が亡くなっていいことなんてあるわけないですが
唯一良かったことと言えば、親族の、家族の絆みたいなものを再確認させてくれたことかもしれません。














三十五日法要

寺へ向かうときの回想

>車は手放すか、とも言っていたが母も乗っていた車でもあるので、それはやめてくれと自分が都合をつけた。

日記にも書いていますが、想定以上の参列者のおかげで
香典もそれなりに頂き、葬儀代についてはそれほど大きな出費にはなっていません。
返せというのも格好悪いので、残りは車のローンなり生活費に充ててくれと渡しています。


暫くは大人しくしてよう…(震え







>寺に到着。

猫がいたので兄の彼女と追いかけてたのですが、
僕が手を伸ばしたらシャーッ!と威嚇されました。

怖かったです。
いいハンターにはなれそうにありません。









墓参りが終わり、食事会へ

>彼女がいたことはないと言うと悲鳴を上げられ
>葬儀のことで叔母とラインで連絡を取り合ったのが異性との初めてのラインだったことを
>言うと信じられないぐらいドン引きされる。


従妹のラインのアイコンがプリクラか何かで撮ったような写真なのですが
ラインの画面に女の顔写真があるということだけでビビりました。
スマホ持ってる手が震えました。


ここまで女に縁が無い何なんでしょうね?
自分から一切動き出さないことに要因があることは重々承知の上なんですが
そうでなくても何か自然発生的なイベントみたいなものがあったりしないの?

俺の人生の運営何やってんだよ!おかしなイベントばっかやってんじゃねぇよ!
調整しろや!








こんなところでしょうか。


親は子が生まれた時に、命の紡ぎだとか継承を感じるのかもしれませんが
子は親が死んだときにそれを感じるんだと思います。

少なくとも自分はそうでした。



身の振り方を考えてみて下さい。
「自分が良ければ、納得していればそれでいい」
確かにそうかもしれません。

ただ、その判断は自分よがりなものになっていないか。
逃げてるだけではないのか。
友人がそれを聞いても?
家族が、親族がそれを聞いても?
胸を張れるのか。堂々としていられるのか。

僕は童貞であることを職場で公言しています。
親族の前でも言いました。
これは信念に基づいているからです。
「もういいや」「無理だから」なんて逃げの一手で打った行動ではありません。

ただそれも今一度考え直すべきなのか、そう問い直す機会を与えられたのかとも思いました。




皆さん、どうかご両親を、ご家族を大切に。



10月15日

先日、母の三十五日法要が執り行われた。



一般的には四十九日が知られていると思うが、祖母が懇意にしている
お坊さんとの日程の都合で三十五日になったらしい(檀家とのことだが詳細は不明)。

四十九日とほぼ同じ効果が期待できるらしい。



効果ってなんだよ。










兄の車で祖母宅へ。

祖母宅に置かれている、お骨が祭られた祭壇へ最後の線香を立てる。
兄は母の姉妹を寺へ誘導する為に先に出た。

事前に出発の時間を聞かされていたが、その時間になり父はようやく礼服に着替え始める。


父の車で寺へ向かう。
父はすっかり精神的に持ち直し、車の運転は勿論、仕事にも復帰している。
一先ずは安心した。
母が保険に入っていなかったことに難儀したのを学んだのか
国民共済的な保険にも入ったらしい。

葬儀代、家を引き払う際の敷金、粗大ゴミの処分費用、食事会やら色々と出費が必要になるのである。
父はそれに加え買ったばかりの車のローン等もあり、正に首が回らない状態だった。
車は手放すか、とも言っていたが母も乗っていた車でもあるので、それはやめてくれと自分が都合をつけた。
その額は上記の出費が全て賄える程である。こんな孝行息子他におらんで。

もっと孝行していれば、そもそもこんなことにもならなかったのかもしれないが。
(前回の日記を読み返した自身の感想として、死因を伏せたことと
自身の後悔の描写から母は自殺したのかと捉えられそうだというのがありましたが
そこまで不幸過ぎる最期ではありません。念の為)

しかし、自分の車を買うでもなく、家を買うでもなく
ここにきて人生最大の出費をするとは…笑うしかない毎日が続いてる。
保険の大切さが身に染みる。






寺に到着。
参列する親族は全員到着しており、喪主が最後の到着となった。

本来この日は祖父の十七回忌だったのだが、急遽母の三十五日となってしまった。
寺には祖父の卒塔婆も置かれており、同時開催みたいなことだろうか。



読経の際は、小さい椅子が並べられる。
昔は基本正座だったと思うが、足が悪い老人に配慮したものなのだろう。
寺側も現代に対応しているのか。





寺で読経と焼香が終わると、車で墓に向かう。

この墓に来るのも何年振りだろうか。全く変わらない。
坂の途中に民家があり、そこにいる犬が通る度に吠え立てて喧しかった記憶があるが
その犬はもういなかった。確実に年月は経っているのだ。

母の骨壺が墓に入れられた。埋葬という表現が合っているのだろうか。
となりには祖父の骨壺もあった。この骨壺は自分が入れたのを憶えている。

父に月命日にまた来ようと言われた。
しばらくはここに通うことになりそうだ。



参列者が線香を立て終わると、少し離れた店で食事会が行われる。

その際には喪主となる父が挨拶をするのだが、
その挨拶のタイミングのことで祖母と軽く衝突していた。
「まだ料理揃ってねぇだろ!ちょっと黙ってろよ!」と辛らつな言葉が飛び
皆、苦笑するしかない。この先の生活が心配になる。

ただ、母の訃報を知った父が真っ先に連絡したのは他でもない祖母だったらしい。
なんだかんだで頼りにしているのだ。祖母が健在な内は大丈夫だろう。





従妹と近くの席だったので、話題作りに彼氏はいるのかと聞くと
「いねぇよ」と冷たく返される。叔父に「俺でも聞けないことをよく聞くな」と呆れられる。
こうなるとお前はどうなんだと返されるが世の常である。
自ら地雷を踏みに行く童貞の鑑、ここにあり。

彼女がいたことはないと言うと悲鳴を上げられ
葬儀のことで叔母とラインで連絡を取り合ったのが異性との初めてのラインだったことを
言うと信じられないぐらいドン引きされる。

だってメールが母だけだったんだから、母がライン出来ないと
必然的にそうなりません?そうでしょ?


命乞いなどして、自分のプライドまで明け渡すなっ…!
胸を張れっ!手痛く負けた時こそ、胸をっ…!
(別に負けてない)






食事会が終わり、解散となった。
次に集まるのは一周忌だろうか。
母が亡くなると、母の姉妹や従兄弟たちとの繋がりが無くなってしまったように感じる。
どういう機会に会えばいいのだろうか。

そんなことごちゃごちゃ考えずにお邪魔しにいけば
どうにかなるのだろうが、躊躇してしまう。こうやって意識が希薄になってしまうんだよな。







Tipsと後書き的なものでこの話題は締めたいと思います。
また次回。


10月11日

8月某日、父より電話が入る。
いつもは仕事中やら電車やら気分が乗らなかったりやらで
余り出ないのだが、その日は休日、家にいて、何となく出る気分だった。
内容は亡くなった祖父の17回忌が某日にあるので仕事の休みを取っておけとの連絡。

はいはーいと適当に電話を切ろうとしたところで、母に代わるという。
その17回忌で会うからいいだろ…と思った。








母「もしもし〜りゅう〜?

自「うん(こいつまた酔ってんな)

母「何してんの〜?

自「家にいるよ

母「ゲーム?

自「う、うん 飯は食ったの?

母「食べたよ〜。お兄ちゃんがねぇ、お豆腐買ってきてくれたの〜

自「豆腐?

母「豆腐〜

自「ふ〜ん(わざわざ言うぐらいなんだから特別な豆腐なんだろうけど聞くのもめんどくせーw)

母「お兄ちゃんまた太ったんだよ。デブ!超デブ!

自「へ〜

母「そういえば今度からさ〜電車通勤が始まるんだけど

自「ふーん

母「大丈夫かなぁ〜

自「まぁ大丈夫じゃない

母「○○線で○○まで行くんだけどさぁ

自「あそこは死ぬほど本数少ないから気を付けたほうがいいよ

母「そうなの〜?  じゃあお父さんに代わるね〜

自「うん


















これが母との最後の会話でした。


9月某日、母が急逝。52歳でした。













その9月某日。

その日は日勤で、そこそこ残業。20時頃に会社を出た。

帰りに父より電話が入るが電車内の為、出られず。
またタイミングわりーなー、どうせ来月会うでしょうよぐらいに思っていた。






数分後にまた父より電話。
おいおいおい何だよ、そんな急に知らせたいことでもあるのか?






又、数分後に今度は知らない番号より電話。
はぁ〜?一体何なのよ?






数分後、父の番号よりショートメールが入る。

「大至急連絡して!」







このメールで只事ではないことが起きていることを察知。
父は電子機器にとても疎く、メールが打てないのだ。
つまり第三者が父の携帯電話を使ってショートメールを送信しているということ。
恐らく数分前の知らない番号でかけてきた人物だろう。




ちょうど最寄の駅に降りる頃だった。電車を降り、父の携帯に即コールバック。

自「もしもし?

「りゅうか?」

叔父だった。もう何年も会ってなかったが、声でわかった。
父が事件か事故に巻き込まれた訳ではないことを悟り安堵するが
次に叔父が発した言葉は思いもよらぬものだった。


叔父「すぐ帰ってきて!お母さんが大変なことになってる!

自「は?!

叔父「亡くなってるって!




どういうこと?どういう状況?そこは病院なのか?
母が運び込まれたのか?大変なことになってる?亡くなってる?
生死の境を彷徨ってるってこと?それとももう…確定?


何処に行けばいいのかと聞くと、実家に来いとのことだった。
いつもならこのまま駅から出るところを実家方面に向かう路線に乗り換えた。







実家方面に向かう電車を待つ間に上司に連絡。明日は休んでいいと即答を貰うが
こんな状況でもまず明日の仕事のことを考えている自分に少し呆れる。



実家の最寄駅に到着すると、叔母が車で迎えに来ていた。

飛び乗って真っ先に確認したいことがあった。

「もう亡くなってるの?」

叔母は答え辛そうに静かに「うん…」と答えた。










もう遅いのか…。














実家が見えてくると、夢も希望も無いことを確信させられる。
護送車のような車とパトカーが止まっていた。救急車はあったかな?覚えてない。
警察の関係者と思われる人物数人が家を取り囲んでいた。


家に入る前にいきなり女性が現れて、名前やら住所やら職業やらを聞かれる。
そもそもあんたは誰なのかと聞くと警察だという。
なんて無粋なんだ警察…名乗りもしないで無礼過ぎないか?





一通り答えた後に家に入ると親戚数人、兄、そして父がいた。

久しぶりに会った兄は茫然とし、父は頭を抱えて完全に打ちひしがれていた。






いざ実家に来たところで、母の遺体とは対面出来ないらしい。
どうしたものかと思いながら、久しぶりにあった親戚の面々とてきとうに近況を話したりする。

叔父が冗談混じりに「お前ら(自分と兄)が出てっちまうからこうなっちまうんだよ」と言った。
兄と顔を見合わせ、「まぁ、そうだね…」としか答えられない。




これからを話した結果、取りあえず
打ちひしがれている父を一人には出来ないということになり、自分が実家に泊まることになる。


会社帰りでスーツのまま来ていたので、着替えを取りに兄の車で自分の家に送って貰う。
自分の準備を待ってる間、兄は外でタバコを吸っていた。
外に出て自分も吸おうと思いタバコを取り出すと兄が驚く。
「お前タバコ吸ってんの!?」

吸い始めたのが1年前ぐらいなので無理もない。親戚縁者で自分がタバコ吸っているのを知ってるのは
父と…母ぐらいだった。


兄弟揃ってタバコを吸うのは当然初めてだった。


兄「何吸ってんの?

自「セッタの7m

兄「へ〜

自「俺はメンソなんてインポが吸うものは吸わないから(兄はマルボロのメンソール

兄「うるせぇよw




兄弟の吐いた煙が夜空に溶けた。
母にこの姿を見せたくなった。
呆れて笑うと思うけど、それももうわからない。













実家に戻ると、明日の予定を立てる。
朝一で遺体の解剖が始まり、対面出来るのはその後だという。

父は車を運転出来るような精神状態で無く、兄の車で病院へ向かうことになった。





解散となり、兄と親戚らは帰宅。父と二人きりになった。

ここで酒を飲みながら、母の遺体発見時の詳細を聞いた。



(詳細は伏せておく)



その状況を父は涙ながらに語っていた。
父が泣いている姿を見るのは初めてだった。









浅い眠りと覚醒を繰り返すと朝になっていた。

兄の車で病院へ向かう。同乗したのは父の他に叔母と祖母。
この祖母は父方の祖母、つまり父の母な訳だが…自分にはもう母がいないのに
父の母はまだ健在という順番違いが起きている(順番という表現も失礼極まりない)。
この祖母がまたパワフルで何度笑わされ、悲しみを忘れさせてもらったかが分からない。
このエピソードはまたどこかで。









病院に着くと係の人に奥に通され、渡り廊下を進み別棟に辿り着いた。
そこには「遺族控室」と書かれていた。なるほど、”そういう”建物なんだな、と思った。



30分程待機したところで、解剖を担当した医師より説明が始まる。

(詳細は伏せておく)

一通り説明が終わったあとで小さいビニール袋に入った指輪を渡された。
母がつけていた結婚指輪だ。

完全な「別れ」を物で突きつけられた父はどういう心境だったのだろうか。
父はひたすら無言だった。






医師より死亡届を渡された。存在は知っていたが目にする日がこんなに急だとは思わなかった。
婚姻届とかは文字が緑だったと思うが、死亡届は黒い。
白い紙に黒い文字。極めて普通のはずなのにこの書類が出す雰囲気はとてつもなく重い。

父は書くことを拒否し、兄が書いた。自分は傍観するだけだった。





程なくして葬儀屋の人と面会する。
遺体は葬儀屋が預かり、このまま安置所に送られるらしい。
ここで初めて遺体との対面となる。


葬儀屋の車に運び込まれた母の顔だけが見えた。
眠っているようだった。
遺体の顔は解剖の際に整えられるのだろうか?
苦しんだような表情で無かったのが唯一の救いだった。








このまま次は葬儀屋の店に向かい、葬儀の打ち合わせをする。

道中、葬儀屋という職業について考えていた。
確実に需要があり、相場が不透明で、冠婚葬祭にかこつけて儲かりそうな職業。
起業する分にはこの辺りが動機になるのは理解できるが、この会社を志望して
就職する人ってどんな人なんだろう?
会う人会う人が淀んだ表情で、それを必死にサポートする…。立派な仕事だとは思うが
それを志望するに至るルーツってどんなものなのだろうか。










葬儀の打ち合わせにも父はほとんど参加しない。
完全に気が抜けてしまっている。自分ら兄弟が悲しむ暇も無い。

葬儀にも値段で分かれたコースみたいなものがある。
正直よく分からない。安すぎても可哀そうだが、高すぎるのには手が出せない。
結局はまぁボチボチというものを選ぶことになる。




最後に葬儀屋の人に「お父さん、支えてあげてね!」と声をかけられた。
打ち合わせのときも父の様子を常に気にかけていてとても好感が持てる人だった。
葬儀屋さん。立派だなぁ。

でもその言い方はなんか子供に言う感じのような…(親戚一同から「変わらねー!」「未成年!」と言われまくって少し気にしている








この日やるべきことは一通り終わったが、母の姉妹がどうしても遺体に対面したいという連絡が入っていた。
葬儀の日まで会えないはずなのだが、病院の時から同席していた叔母(父の妹)がどうにかして会えることになった。
葬儀屋に知り合いがいるとのことだが…どんな人脈なのだろうか。






葬儀屋より車で少し離れた遺体安置所で母の姉妹と合流する。
遺体安置所は「○○安置所」なんて分かりやすい名前ではなく「○○自動車」という感じの
近隣住民に配慮したような名前だった。
しかし、その「○○」の中に「礼(「霊」と掛けている?)」という字が入っていたり、建物の奥の方には霊柩車が止まっていたりと
「よく見れば分かるけど、見て見ぬふりをしておこう」という雰囲気が漂っている。

ここでは遺体に化粧、いわゆる「おくりびと」的なことが行われ
その際に立ち会うことが出来るらしい。





係の人に招かれ、遺体に再度対面。
するやいなや、母の姉妹は遺体にすがりつき大号泣。
ドラマのワンシーンに迷い込んだのかと錯覚するほどの号泣だった。
「ママより早く死んでどうすんのよ!バカ!!」
泣きながらそう叫んでいた。

”ママ”…母方の祖母は自分が幼い頃に亡くなっている。
ほとんど記憶にないが、当時、母が仕事に向かう際
泣き叫んでいた自分を負ぶってあやしてくれた記憶だけはほんの少し残っている。

その祖母は確か60代前半だったと思う。
母は52歳でこの世を去った。早すぎる。


ここで初めて自分の涙腺が決壊してしまった。
母が死んだ悲しさというより、ここまで号泣してくれる姉妹愛の篤さ。ありがたさ。
そしてもうどうすることも出来ない無念さに泣いてしまった。

頻繁に電話していれば、会いに行けば、実家を離れなければ…変わっていたのだろうか。






10分程の対面の後、化粧が始まった。
係の人は男だ。葬儀屋に向かう時と同様の疑問が浮かぶ。
一体どの様なルーツで…。
「おくりびと」の主人公も男だった。まさかあんな感じで…?

係の人が一通り化粧を終えた後、細かい部分は姉妹が仕上げていた。
正直男には分からない世界だ。
ここに男の家族しかいなければ、こんなことはしないだろう。
この点について母親はとても幸せなんだと思う。





化粧が終わり、線香を立てる。
母に線香を立てる日がこんなにも急に。
何もかもが急過ぎる。

父は受け入れられない、と線香を立てるのを拒否していた。

次の対面は三日後の通夜。それまでに父の心の整理がついていればいいが。
その間の二日間は実家の掃除をすることになった。

兄の車に送られ自宅に到着。着替えを取りに一度帰ってきているが
凄く久しぶりに帰ってきた気がした。シャワーを浴びてすぐに寝てしまった。
疲労もありすぐに眠りにつけたが、夢に母は出てこなかった。







朝、兄が迎えに来た。途中、祖母の家で父と祖母を拾い実家に向かう。
実家の掃除である。これを機に掃除してしまおうということではなく、
父はこれから祖母の家で暮らすことになったので、引き払う準備である。
手伝いとして母の姉妹(姉一人、妹一人)が来てくれた。

実家はアパートだが、20数年使用していた。
ここ数年は歳の所為なのか不精なのかはわからないが(恐らく後者)
まともに掃除をしておらず、ゴミや埃がとんでもないことになっていた。

まずは母の遺品整理。
姉妹が宝石等のアクセサリーを何個か貰っていった。
自分と兄にも何個か分け与えられた。将来の嫁に渡せとのこと。
うーん…。



掃除開始。とにかく衣類が溢れかえっていたので
適当にまとめてビニールひもでしばる。本も同様。
その他不要なものをゴミ袋に入れて外に出す。
途中、昼食休憩を挟みつつ一日ずっとこんなことをしていた。
終わって部屋を見渡すが、半分も片付いた感じがしない。
これは長い戦いになりそうである。

兄の車で自宅に送られ、この日は終了。








掃除二日目。起きると疲労で体中が痛い。
実家に着くと父の妹二人と叔父、従妹が来ていた。
基本的に前日と同様の作業だが、この日は大きい家具を解体し
外に出す作業もした。叔父の存在がありがたかった。

実家のある地域のゴミ分別が分からず、前日は保留にしていた物の
再分別等もした。これは叔母に頼り切りだった。
助けられっ放しである。本当に感謝。



昼食を挟みつつも作業は夜中まで続く。
部屋を見渡すと要約半分か2/3程度といったところか。
残りは後日になる。いつ終わるのだろうか…。

外にはゴミの山が出されている。文字通り山だ。
燃えるゴミの袋を何個使ったか分からない。足りなくなり何度買い出しにいったことか。
アパートなので同じ建物の住民の迷惑になりかねない量。いや、絶対に迷惑。
申し訳ない。








通夜当日。
始まるのは夕方だが、親族は早めに斎場に着かなければならない。

まずは実家に向かい、外に出していたゴミ袋を収集場に置く作業。

そこで母の姉妹と合流し、斎場へ向かう。



斎場では式の準備が着々と進んでいた。
母の遺影を中心に花が囲むように何個も並んでいた。
自分の勤めている会社からも花が届いていた。
もう何年も働いているが、こういう時に「一応はちゃんとした会社なんだな」と実感させられる。

遺影には難儀させられた。
母はここ何年もプライベートで写真を撮っていなかった。
一番新しくてまともに写っているものといえば免許証の写真ぐらいである。

それでは余りにも味気ないということで、親戚総出で過去の写真を探し回り
見つかったのが、祖母の家から出てきた一枚の写真である。
それは祖母が昔経営していたスナックで働いていたときの写真。
髪はまだロングで、仕事上服は少し派手。そして若い。多分今の自分とそれほど歳の差は無い。

これを葬儀屋に現代技術で生前になるべく近づけて貰い、出来た遺影。
それでも正直52歳には見えないかもしれないが、女性だしこれでいいのだろう。
母もきっと喜んでいる。


遺影と花が飾られているステージの手前にはお棺と
お坊さんがお経を読み上げる席が準備されていた。
お棺を覗くと、化粧された母がいた。変わらず眠っている様だった。









通夜は想像以上の人数が参列していた。
ここ数年、母は人付き合いが無さそうで少し心配だったので驚いた。
冷静に考えてみれば父や祖母の関係者も含まれるので当然といえば当然だった。
後から聞いた話だが、葬儀屋によると同じ斎場ではここ数年の中でも一番の参列者の多さだったという。
本当にありがたい話である。






焼香の後は食事会。挨拶は兄、献杯の音頭は大叔父がとった。
この辺りの設定は余り聞いていないが恐らく父の精神状態を思ってのことなのだろう。

自分の席の近くには大叔母や兄の彼女がいたのだが、大叔母は兄の彼女を指差し、
「(兄の)嫁さんなのよ」と周りに触れ回っていた。少し気が早いんじゃないかと諌めようとするも
「言っちゃえばいいのよ」と聞かない。このような場でもたくましすぎる女性は
ありがたいやら恥ずかしいやらである。






食事会のあとは解散となるのだが、家族はここで一夜を過ごすことになる。
つまり父、兄、自分だ。
昔の通夜は夜が明けるまで交代で線香を立てていたそうだが
今は蚊取り線香のような形をした円状の線香が一晩中焚かれるのでその必要はない。

食事会で余った酒やつまみを寝泊りする部屋に持ち込み、家族で二次会が始まる。
あとで父に言われて気づいたのだが、家族の男三人で飲むのはこれが初めてだった。
思えば家族関係が希薄だった。今になって申し訳なさが身に染みる。

途中トイレに立ち、その帰りに式場に足を向ける。母が眠っている場所だ。
室温は遺体の腐敗を防ぐ為なのか、低めに設定されていて少し寒い。
亡くなってから母と二人になるのは初めてだ。

もう孫を見せてもおかしくない歳になったが、彼女の顔すら見せられていない。
こんな時が来るのを童貞を貫くと志した頃から覚悟はしていたが、本当にその時が来てしまった。

間違っていたのかな…。

この先二度と無いであろう、父母双方の親戚が一堂に会していたその席で
兄は彼女を紹介して回っていた。皆笑顔でそれを迎え、最早結婚秒読みにも見える光景だったが
自分には何も無かった。

後悔なのか、単純に母を失った悲しさなのか、なんとも言えない虚無感に包まれた。





部屋に戻ると思い出話に花を咲かせるでもなく、テレビを見て談笑したあと
父が先に寝た。てきとうなところで兄と自分も床に着く。









朝、式場に足を向けると父が線香を立てていた。
円状の線香が消えかけていて危ないところだったと笑いながら言った。
正直自分はその意識すら欠けていた。
精神状態が心配されたが、母を一番気にかけているのはやはり父だった。








昼頃に告別式が始まる。
通夜に参列できなかった人たちが何人か来ていた。

焼香の後は、お棺を開けて最後の別れである。

親族が花をお棺に手向ける。

無数の花に囲まれた母は不謹慎かもしれないが、幸せそうに見えた。









出棺の前の最後の挨拶は伯父が行った。

この伯父は母の姉の夫。普段は常識に欠けた言動で
時には周りから煙たがられる人なのだが、この挨拶はとても恰好良かった。
兄と自分へのメッセージも込められていた。







火葬を終え、解散になるが葬儀屋に促され父が最後の挨拶をした。
喪主が最後まで何も挨拶をしないのは流石によろしくないということだろうか。
父はふりしぼるような声で、本当に簡単な挨拶をした。

30年以上連れ添った伴侶を急に失い、これから父の新しい生活が始まるのだ。
全力で支えたいと思う。






式後は祖母の家に戻り、香典の集計やそのお礼等の段取りを話し合った。
実家の片づけもまだ終わってないし、四十九日まではまだまだバタバタしそうである。

適当なところで切り上げ、父の妹家族らと外食を済ませ本当の解散となった。
兄はまだ手伝いを続けるそうだが、自分は仕事が休める限界も近づいており翌日より出勤である。
仕事を休んでいるはずなのに全く休んだ気がしない。余韻も糞もあったもんじゃない。









兄に自宅まで送ってもらい一人になった。


一人だ。
父にはまだ母がいる。
兄には結婚間近で同棲している彼女がいる。
よく考えると家族で一人なのは自分だけだった。
もう実家も無い。頼るところがない。

父は実家を頼った。
兄は自分と同じ境遇に見えるが近い未来、妻の実家が出来るだろう。

自分は自分を頼るしかない。
”帰る”場所は今居るここだけになってしまった。

そんな現実を突きつけられて、狼狽するような歳でも無いが
焦燥と虚無の狭間に心が揺れ動く。

もし祖母が死んだら喪主は父がやるのか?
もし父が死んだら喪主は兄なのか?いや、婿入りすると言っていたから自分なのか?
もし自分が死んだら…。





そんな答えのないことをぐるぐる考えていたら、叔母とその娘、つまり従妹からラインが入っていた。
そこには自分ら兄弟を思いやるメッセージが長々と込められていた。

親戚の皆は10年近く会っていなかった自分たちに、そんな長い空白を全く感じさせない程
親しく接してくれた。その優しさがとてもありがたかった。

そんな感謝の意を返信すると、従妹から「大切な家族だからだよ」と返ってきた。


溢れそうになる涙を堪えた。
取りあえず、一人だなんて考えるのは止めようと思った。